回復の預言者

ヒーバー・J・グラント

経歴

ユタ州ソルトレークシティーで,レイチェル・リッジウェイ・アイビンズとジェデダイア・モーガン・グラントとの間に生まれる。


ブリガム・ヤングの第二顧問,またソルトレークシティーの最初の市長を務めた父,ジェデダイア・M・グラントが死去する。


当時まだ普通の神権の職であった七十人に聖任される。


15歳のとき,H・R・マン保険会社で出納係を務め,早くから職業上の目標を達成する。


すべてのワードの中で最初に組織された青年男子相互発達協会(YMMIA)の顧問となる。


会員同士の交流が深いワサッチ文学協会に参加する。会員には将来の妻エミリー・ウェルズ,将来の使徒オーソン・F・ホイットニー,ラジャー・クローソン,将来の若い女性会長マーサ・ホーン・チグニーなどがいた。


雇用主からH・R・マン社を買収し,初めて経営者となる。


セントジョージ神殿でルーシー・ストリンガムと結婚する。


長女となるスーザン・レイチェル・グラントの誕生により,父親となる。その後,9人の娘と2人の息子が生まれる。


中央青年男子相互発達協会指導者の書記となる。


ユタ州トゥーエルステークを管理するよう召される。

「1880年にシオンのトゥーエルステークの会長になった日から,わたしは主の思いと御心を知ろうと望んできました。 へりくだり,祈りの気持ちをもって〔それ〕を求めました。」


4月13日にジョン・テーラー大管長が受けた啓示に従い,使徒の召しを受け,ジョージ・Q・キャノン管長によって聖任される。


メキシコ・ソノラと合衆国南西部で,ヤキ,ナバホ,ホピなどのアメリカ先住民の部族に伝道する。


ソルトレークシティーのエンダウメントハウスでオーガスタ・ウィンターズと結婚する。


グラント・ブラザーズ・リバリー社を創設してタクシー業を行い,モルモンについてのモルモンからの情報をソルトレークを訪れた観光客に提供する。


ルーシー・ストリンガム・グラントの死。


全国にわたる経済危機から教会を守るため,ニューヨークへ旅して融資を獲得する。


教会機関誌『インプルーブメントエラ』(Improvement Era)の創刊に携わり,実務部長を務める。


イギリスに到着する。1906年11月までヨーロッパでの伝道を管理する。

「伝道地ではかつてないほどに主に近づき,多くを達成し,多くの喜びを得ました。」


エミリー・ウェルズ・グラントの死。


教会の大管長としてジョセフ・F・スミスの後を継ぎ,アンソン・H・ランドとチャールズ・W・ペンローズを顧問として召す。

「初めて大管長会に入ったとき,わたしのうえにのしかかる責任についての思いに圧倒され,数週間は十分な休息を取ることができませんでした。」


総大会で支持される(総大会はインフルエンザの流行のため,6月まで延期された)。


国際連盟の結成を支持し,そのことが聖文に反しているという議論に対して反対意見を述べる。


ハワイ州ライエ神殿を奉献する。


神殿に入るふさわしさの条件に知恵の言葉を加える。


ユタ州初のラジオ局を奉献し,メッセージを中継する。


アルバータ州カードストン神殿を奉献する。


総大会の初めてのラジオ中継で話をする。

「ラジオは人知が及ぶ中で最も驚くべき発明の一つです。 何千マイル先まで声が届けられるというのは,わたしの理解を超えてしまっているようです。」


宣教師訓練センター(MTC)の前身であるソルトレーク宣教師本部の設立を監督する。


アイダホ州モスコーにあるアイダホ大学で,最初のインスティテュートプログラムを組織し,指導するためにJ・ワイリー・セッションズを召す。


アリゾナ州メサ神殿を奉献する。


最後の神権時代の最初の世紀における霊的および技術的進歩を祝う声明を発表する。


エル・パソのダグラスストリートの教会堂を奉献する。

「我々は神聖な目的のためにこれをすべて主にささげ,主の僕やその友がここに集うときに,あなた様の御霊による霊感を受けてそれを行えるよう祈ります。……喜びの目的をもってこの建物に集まる人々を祝福してください。 どうか彼らが感謝と敬虔さをもってここに来ることができますように。」


ユタ州が禁酒法の廃止に票を投じたことに失望する。


教会保全計画(後に教会福祉プログラムと呼ばれる)が発足する。


ヨーロッパにおける教会の100周年を記念し,各地の教会を訪問する。


戦争で家族を失った人,また失うかもしれない人のために総大会で祈る。


脳卒中に見舞われ,人生の残り5年は身体的に衰弱した状態となる。

「医者は脳卒中によってまひが起こることはないと言いましたが,少なくとも体を弱らせるものであったことは間違いありません。」


ハリウッド映画『ブリガム・ヤング』における末日聖徒についての共感的描写に総大会で感謝を示す。


末日聖徒の兵士に手紙を送り,戦地においても憎しみの感情に屈することのないように促す。


顧問のJ・ルーベン・クラークやデビッド・O・マッケイとともに,総大会において大管長会からの戦争に対する公式な声明を発表する。


ユタ州ソルトレーク・シティーにて死去する。